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旧中山道を歩く  Part13 本庄宿

■中山道は日本橋を起点として東京、埼玉、群馬、長野、岐阜、滋賀の各県を経て京都市に至る69次の街道。東海道と違って山間部を通るために川止めも少なく、江戸時代にはかなり多くの人々に使われていたようだ。距離は532㎞余だ。
■前回は本庄宿までの間に見所がたくさんある岡部地域を紹介した。
▉前回は昨年の7月号だったためにかなり間があいたが、今月はいよいよ本庄宿だ。本庄宿は中山道にあって、埼玉県最後の宿場となるため、中山道特集は本庄宿が最終回となる。
▉見どころの多い本庄宿をゆっくり巡ってみよう。
 
 

滝岡橋から本庄へ

 中山道特集の前回は滝岡橋まで来たので、今回はそこをスタート地点とした。この地域では旧中山道が国道17号線とはしっかりと分けられているので、道を見失うことはない。22~23ページに地図を掲載しているので参考にして欲しい。
●滝岡橋
 この橋は「道の駅おかべ」から近く、この橋で旧中山道は小山川を越える。橋の上流部分には「たきおか水辺公園」がある。
 小山川は旧藤田村滝瀬と旧岡部村岡の境界を流れており、その村の名をとって滝岡橋と命名された。橋が出来たのは昭和3年で、現在国登録有形文化財に認定されている。
●宝珠寺
 滝岡橋を後にして旧中山道を進もう。やがて現れるのが写真③で「歩道直進」の標識がある。歩道が本来の中山道だが車は迂回しよう。しばらく行くと右側に写真④「宝珠寺の参道」が現れる。すぐ左側は写真⑤の「八幡大神社」だ。
 宝珠寺の開山年代は不詳だが、慶安2年(1649)には徳川三代将軍家光から御朱印石高10石を賜うとの説明があった。また、寛政2年(1790)に村内から火事が起こり、本村50戸余りを類焼した。その際、宝珠寺の建物も焼失。現在の本堂は文政2年(1819)の建立だそうだ。
●八幡大神社
 宝珠寺の反対側(左側)にあるのが写真⑤の「八幡大神社」だ。神社の前には「金鑚神楽」の説明板があった。神楽は天照大神の岩屋のかくれ神話がその起こりで金鑚神楽宮崎組は市の指定無形文化財だ。
 神社そのものは建久年間(1195)に児玉党の一族牧西四郎広末が武運長久を願って、鎌倉鶴岡八幡宮を奉還したと説明されている。
 宝珠寺と八幡大神社を後にすると右側に藤田郵便局がある。資料によれば郵便局の前には「小川家長屋門」があるとされているが、現在ここは新しい住宅となっていて長屋門はなかった。
●子育て地蔵
 藤田郵便局を過ぎると写真⑥のように旧中山道は田園風景となる。ちょうど左にカーブする辺り、写真⑦の右側に⑧「子育て地蔵」がある。ここには子育て地蔵の他に庚申塔なども並んでいる。
●内野家長屋門
 さらに進むと右側に現れるのが⑨「内野家長屋門」だ。門の横には「内野歯科医院」の看板があるのでこの家は現在歯科医院となっているようだ。この辺り、昔は傍示堂村といったが、内野家の先祖はそ傍示堂村の名主だった。さらに黒田村(現在の深谷市花園)や保木野村(現在の本庄市児玉)の名主も統括していた。それもあってか塙保己一が江戸に出るきっかけを作ったのもこの人だったと伝えられている。
 内野家長屋門の少し先に変形の交差点がありその正面に傍示堂センターがある。
●国道17号線
 傍示堂センターの少し先には大きな交差点⑩が現れる。信号には「日ノ出町4丁目」の看板があった。これが国道17号線だが、ここは交差して直進する。やがて市街地の風景となって⑫東台4丁目交差点も超えていく。
 
 

本庄宿中心部

 いよいよ本庄宿の中心部に入ってきた。ここから先はそれぞれの見学先が入り組んでいるために写真に番号をつけることはしない。地図と住所を頼りに捜して欲しい。それぞれの場所は大変近い所に展開しているので車よりも徒歩が便利かもしれない。
●大正院
 「大正院」は真言宗智山派の寺院で、天正11年(1583)権律師正算の開山と伝えられている。さらに栗崎宥勝寺の末寺で、本尊は大日如来だ。
 境内に入ると左側に近代的な本堂があり、右側に不動堂と薬師堂がある。なお薬師堂は旧本堂だという。武州本庄七福神では弁財天を祀っている。
●円心寺
 浄土宗の寺院で要行山、先求院円心寺という。本尊は阿弥陀三尊。天正19年(1591)の建立と伝えられている。また武州本庄七福神めぐりでは福禄寿の寺だ。
●城下公園
 市役所のすぐ東側にある広々とした公園。苑内には大きなタコの形をした滑り台があるために「たこ公園」と呼ばれることもあるようだ。園内を遊歩道が巡っており、季節には桜が美しい。また一画には城山稲荷神社がある。
●城山稲荷神社
 この神社は本庄市役所の東側に鎮座している。戦国時代末期、本庄城主の小笠原掃部太夫信嶺が城跡に残したと言われる神社だ。神社の御神木はケヤキで、樹齢約400年以上、根回り13メートル以上だ。城下公園の市役所側にある。
●開善寺
 開善寺は天正19年(1591)、小笠原信嶺により小笠原家菩提寺として建立された。信嶺は主君を武田系、織田家、徳川家と変えたという。
 当時は寒村だった本庄に本庄宿の楚を築いた。境内に信嶺公夫妻の墓がある。
●慈恩寺
 もとは栗崎村にあったが、弘治2年(1556)本庄城築城の際に本庄城南東に移され、その後、寛文7年(1667)に現在の場所に移転した。武州本庄七福神めぐりで銭洗い弁財天が祭られている。
●普寛霊場
 木曽御嶽山開闢祖・普寛上人の墓がある。武州本庄七福神めぐりでは大黒天を祀っている。なお、現在も年間を通して山岳修行や火祭りなどの行事を行っており、一般の方も春・秋の大祭は見学や参加が可能だそうだ。
●若泉公園
 若泉公園は第1公園と第2公園があり、園内を元小山川が流れている。その川を渡るように作られた赤い橋が素敵な雰囲気を作り出している。また、春の季節には元小山川沿いに多くの桜がトンネル状に咲き乱れ見事だ。4月上旬には若泉公園桜まつりが開催され、ライトアップもされる。
●田村本陣の門
 本庄宿の北本陣と呼ばれていたのが田村本陣。現在は門だけが旧本庄警察署前に移築されている。
●煉瓦倉庫
 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫で、平成29年4月1日から交流施設として新たに生まれ変わった。今は休止場所として使われているほか、イベントなども行われている。
●旧本庄警察署
 明治16年に建築された建物で県指定有形文化財。ベランダにはアカンサスの葉を彫刻した柱など明治の洋風建築の特徴が見られる。
●諸井家住宅
 諸井家には北諸井・南諸井・東諸井と呼ばれる3家があり、東諸井家は明治初期の郵便制度発足に当たって郵便取扱役を勤めた。現在も諸井家住宅と接するように旧郵便局がある。
●旧郵便局
 諸井家住宅と並んであるのが旧郵便局だ。諸井家が開設した郵便取扱所が始めにあり,現在の局舎は昭和に建て替えたもの。1階が郵便業務用に,2階は電信電話業務用に造られた。
●ワンダーファブリック
 旧郵便局は現在、「ワンダーファブリック」というキャップ工房とそのお店になっている。店内は郵便局だった当時の面影もある。店主の今井俊之さんは、本庄市内の高校を卒業後、東京でファッションを学び、平成30年(2016)、自社工房を立ち上げた。

田村本陣門

宝珠寺山門


若泉公園

煉瓦倉庫


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【全体メモ】
●宝珠寺
所在地/牧西539・1
電話/22・5020
●八幡大神社
所在地/牧西557
電話/24・1124
●大正院
所在地/本庄2・4・8
電話/22・2468
●円心寺
所在地/本庄3・3・2
電話/22・3415
●城下公園
所在地/本庄3・6
電話/25・1111
●城山稲荷神社
所在地/本庄3・5
電話/25・1174
●開善寺
所在地/中央2・8・26
電話/22・2807
●慈恩寺
所在地/中央1・2・22
電話/24・4011
●普寛霊場
所在地/中央3・4・41
電話/22・4451
●若泉公園
所在地/若泉2
電話/25・1174
●田村本陣門
所在地/中央1・2・3
電話/25・1111
●煉瓦倉庫
所在地/銀座1・5・16
電話/71・6685
●旧本庄警察署
所在地/本庄4・2・7
電話/25・1111
●諸井家住宅
所在地/中央1・8・2
電話/25・1111
●旧郵便局
所在地/本庄1・2・2
電話/25・1111
●ワンダーファブリック
連絡/ホームページから
https://wonderfabric-store.com/