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難読地名の地を訪ねて Part6

 
■県内を移動していると、なんと読むのかわからない地名に遭遇することがある。皆様は「この地名、なんと読むのだろう」と思ったことはないだろうか?
■地名には、読み方が分からず、首をかしげてしまう名前があるもの。そこで編集部では県内にはどんな地名があるのだろうかと調べてみた。
■県民なら誰でも知っていると思える市の名前にも、他県の人には読めないものもある。例えば「狭山市」。これはだれでも「さやま」と読めるのだが、他県には読めない人が沢山いた。
■今回は難読地名の6回目。字名、あるいは町名などの中から読みにくい場所を選んで特集してみた。あなたはいくつ読めるだろうか?

 

門間・道佛(宮代町)

 宮代町にある地名の「門間」と「道佛}はそれぞれ東武動物公園駅の東側と西側にあり、近い位置関係となっているので今回は同時に紹介することにした。この2つの地名は「もんま」「どうぶつ」と読む。
 宮代町は旧石器時代の約1万4千年前から人が住んでいたと思われるが、近代の歴史としては昭和30年(1966)に門間村と須賀村が合併して誕生した。合併前のそれぞれの村には姫宮神社(門間村)と身代神社(須賀村)があったため、その2つの神社から姫宮神社の「宮」、身代神社の「代}をとって町名を宮代町にしたそうだ。
 門間村はもともと大きな村だったためか門間という地名は今でも非常に広く残っている。現在は東武動物公園駅と大落古利根川に挟まれた狭いエリアが門間となっているが、実は道佛のさらに南の方に門間小学校があるのだ。これは非常に興味深い。
▉大落古利根川
 宮代町と杉戸町の間を流れる川だが、江戸時代以前は利根川本流がこの川であり、江戸湾に注いでいた。その流路を現在のように犬吠埼に注ぐように作り替えたのは徳川家康の治水事業によるもの。大落古利根川の現在の起点は久喜市と杉戸町の境界にある葛西橋だ。
▉一庵坊と庚申塔
 一庵坊は元禄時代に深井氏によって建立されたもので一庵法師が開山となったもので、本尊は地蔵菩薩だ。ここに一緒に並ぶ庚申塔で最も古いものは延宝4年(1676)のものだ。
▉郷土資料館など
 郷土の偉人の島村盛助や埼玉県最初のキリスト教会である和戸協会、江戸時代の笠原沼の新田開発の資料など宮代町の歴史を時代ごとに展示している。また屋外には百間小学校の前身である進修学校や加藤家住宅などが展示されている。
▉門間小学校
 明治5年(1872)の学制発布に伴い、4つの学校が開設されたが、そのうちの1つが進修学校で後の門間小学校だ。現在は進修館として展示されている。
▉姫宮神社
 桓武天皇の孫宮目姫がここで無くなった際、慈覚大師円仁が宮目姫を祀ったという。所在地は姫宮だが鳥居には「門間」と記されている。
【メモ】
一庵坊と庚申塔
所在地/宮代町百間6丁目
郷土資料館
所在地/宮代町西原289
門間小学校
所在地/宮代町西原261
姫宮神社
所在地/宮代町姫宮373

 

 
 

大岾(所沢市)

 「岾」を使った地名は京都市や埼玉県、千葉県などにあるようだ。所沢市には「大岾」という地名があったが現在は南永井となっている。これは「おおはけ」と読む。
 南永井に行ってみると大岾稲荷神社や大岾工業、大岾自治会館などの名称が見つかった。
▉大岾稲荷神社
 神社の脇には萬延二辛酉と記された大きな石碑があるが、ここには「あふ岵の神の…」と書かれている。「岾」の文字は昔は「岵」だったのだろうか。
▉所沢ぶどう園
 このぶどう園は亀ヶ谷にあるので、国道463号線から入った方が便利だ。本誌が発行される頃には営業が終わりそうだが、来年に期待したいもの。
【メモ】
◆大岾稲荷神社
所在地/所沢市南永井1049
◆日比田の氷川神社
所在地/所沢市日比田338
◆所沢ぶどう園
所在地/亀ヶ谷470・1

 

曲師(川島町)

  上尾市の平方にある開閉橋を渡ると途中で右に曲がる土手上の道がある。ここを右折すると川島町に入り、曲師に行くことが出来る。
 曲師は「まげし」と読む。江戸時代には出丸7ヶ村の1つだった。その中心は出丸村で松平伊豆守の知行地だったために伊豆丸と呼ばれていたが、いつしか出丸と変化したという。
   明治22年(1889)の町村制施行で、出丸本村、出丸中郷、出丸下郷、西谷村、曲師村、上大屋敷村、下大屋敷村の7か村が合併し、出丸村となった。その後、昭和47年(1972)の町制施行で川島町の地名となっている。
◆曲師の青面金剛
 青面金剛は奇病を流行させる鬼神。それを避けるために像を祀るようになった。上尾からの場合、上大屋敷交差点の次の交差点際右側にある。
◆冨士浅間神社
 県道339号線沿いにある神社。 駐車スペースもあり、まだ新しい雰囲気の神社だった。
【メモ】
◆曲師の青面金剛
所在地/川島町曲師
◆冨士浅間神社
所在地/川島町曲師151
◆環境センター
所在地/川島町曲師370

 

新方須賀(さいたま市岩槻区)

 岩槻区の「新方須賀」を読める方は少ないのではないだろうか。これは「にいがたすか」と読む。「須賀」の部分は「すが」ではなく「すか」だ。古くは須賀村とも菅村とも呼ばれたという。さいたま市岩槻区の東部に位置する地域で大半は農業地域になっている。
▉須田須賀堰と元荒川
 その中に素晴らしい光景を見せる場所がある。須田須賀堰でせき止められた元荒川だ。冬になると水門が開けられ、普通の川となるが取材時はまだ満々と水を湛え、湖のようだった。この堰と平行して元荒川を渡るのは永代橋。東京の隅田川に架かる橋と同名の橋だったのも面白い。
▉つきのきの広場
 須田須賀堰の奥にある小公園で東屋やトイレもあるのでこれからの季節に元荒川の風景を眺めながら一時を過ごすのに最適だろう。
▉木力館
 この一角にあるのが本誌でもお馴染みの木の博物館である木力館だ。この博物館は大忠材木店が開設した、館長の大槻忠男氏の話は興味深い。また様々な木の展示を見ることも出来る。
▉第六天神社
 新方須賀ではなく隣接する大戸にある神社だが、すぐそばなので紹介しよう。天明2年(1782)の創建で「向かい天狗の絵馬」は火難・盗難・疫病を除き、邪気を祓い、家内安全、五穀豊穣、商売繁盛等に霊験あらたかだ。
▉新方須賀香取神社
 古くから新方須賀村の鎮守として祀られてきた。香取神社と稲荷神社の合殿。境内に新方須賀自治会館が設置されている。
▉その他
 新方須賀の周りには県立大学(越谷市)獨協大学球場などもある。
【メモ】
◆木力館
所在地/岩槻区新方須賀558・2
◆武蔵第六天神社
所在地/岩槻区大戸1752
◆新方須賀香取神社
所在地/岩槻区新方須賀540・1
◆つきのきの広場
所在地/岩槻区新方須賀1172
◆県立大学
所在地/越谷市三野宮820