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松本貞雄= ステーキレストランオーナー
角田 松本さんは長いことステーキレストランの経営に携わってこられた訳ですが、どのようないきさつでこの仕事に就くようになったのか、そのあたりから話を進めていきましょう。
松本 もともとはサラリーマンでした。東京丸の内のね…。
角田 と言うことは、かなりの大企業ですね。
松本 そういうことになりますね。上場企業の営業社員をしていました。
角田 なるほど、それがステーキ店に携わるようになった訳は?
松本 今から41年前のことですが、たまたま上司が退職をしてステーキレストランを始めることになったんです。ついては是非とも手伝って欲しいと懇願されました。コックなどは都合がつくけれども、マネージメントなどでは信頼出来る者でないといけないって言うんですよ。
角田 でも、そのような話は悩みますよね。勤めている企業が一流企業であればなおさらですね。
松本 そうですよ。私も仕事の上でも順調に運んでいた時期でもありますし、急にそんな事を言われてもねぇ…。
角田 で、どうしました。
松本 すぐには返事はできなかったんです。すると朝に夜に、私を待ち伏せているんです。仕事が終わって岩槻に帰ってくると、待っていたり…。とうとう根負けして、「ではお手伝いしましょうか」と答えてしまったんです。半分、悪ノリみたいな気分もあったんでしょうね。その当時は一生その仕事に託す気持ちはありませんでした。
角田 でも、安定した大企業のサラリーマンから、これからどうなるかわからないようなレストランに転職するなんて、ご家族は反対しませんでしたか?
松本 そりゃ、もう、兄弟両親とも大反対ですよ。
角田 でも、始めてしまったんですね。
松本 はい。で、始めてしまえばどんな職種であっても情熱を傾けるという点においては同じです。しかも誘ってくれた時の言葉が「2人で、この地域の1番と言われる一流店を作ろう。その手伝いをして欲しい」と言われたものですからね、この言葉に心が動きました。
角田 ということは、この道に入った最初はご自分で店を開いたのではなくて、請われてステーキレストランの店長になったということだったんですね。その時から41年ですか…。長いですね。
松本 当時はステーキという文化は関東にはまだ広がっていませんでした。もちろんホテルとか有名レストランなどではやっていました。大宮には一部ありましたが、裾野は広がっていなかった。ステーキと言わずにビフテキと言ったり、ワインと言わずに葡萄酒と言う…。そんな時代でした。
角田 つまり一部の高級店やホテルではステーキを食べることができたけれど、一般的ではなかった。いろいろと面白そうなエピソードもあるんじゃないですか。
松本 そんな状況でしたから、お客様にステーキやワインの知識をお知らせするところから仕事をしなければならないという部分もありましたね。
角田 なるほど…。
松本 それで、ステーキを注文して戴いたお客様に小さなポートグラスでワインをサービスしたこともあるんです。ワインというものを知って頂くための手段です。
角田 う〜ん、わずか41年前でねぇ…。
松本 その時にね、「このワインは甘くない」と言ってクレームを付けてきたお客様がいたんです。その人にとって、ワインとは甘いものという認識だったようです。
角田 確かにポートワインは甘さがあるんですが、当時、日本で言われていたポートワインというのは、本格的なものではなかったですよね。なんだか作られたような…。
松本 そうです。ステーキに関しても、どんなものなのか、きちんとした知識は広がっていない時代でしたね。そのあたりからお知らせしていかなければならなかった訳です。
角田 当時はまだレストランというよりは食堂といった形態の店が多かった時代かな。
松本 そうですね。その頃は今のようなファミリーレストランもなかった。ましてやステーキハウスで食事をするなどという習慣はなかった時代です。そのような時代にテーブルマナーの講習会なども頻繁に行いましたよ。これには洋食やステーキに親しんでもらいたいという思いもあったんです。
角田 そのようなことを行いながら、お店は軌道に乗って行ったわけですね。そのお店をお辞めになって、現在のご自分のお店を開店したのはいつ頃でした?
松本 今から16年前ですから平成8年の4月ですね。
角田 その時に「ステーキハウス」と言わずに「和風牛肉料理の店」という表現をしましたね。これは前のお店に多少に気を遣われたということなんでしょうか。
松本 もちろんそれもあります。でも、私のオリジナルの店を作りたいという気持ちがあったんです。もちろんベーシックな部分は当然ありますが、前のお店と同じ事はやらないんだという意識はありました。「まつもと」でなければ出来ない料理のスタイルを作っていくんだと、それは和風で行くんだという意識ですね。
角田 その和風というのがキーワードですね。
松本 はい。ですからパンは出さない。すべてお米で行くんだと決めました。お米を作るのは田んぼです。季節には水を張ります。これを絶やしてはいけない。環境のことも考えると、お米の文化を衰退させてはいけないと思いました。そのようなことも考えたんです。
角田 そこまで考えていたんですか。
松本 はい。で、農産物に関しては地元のものを使いたいという気持ちもありました。平成15年だったですかね、上田知事になってから県が「特別栽培農産物制度」というのを始めました。で、その農産物を使用する店舗として私の店が指定されました。ま、単に和風だから米を使うということではなく、環境問題も考慮してのことでした。そして地産地消にもこだわったということです。
角田 なるほどね。さあ、そこで牛肉の話なんですが、松本さんのお店ではメインの牛肉として前沢牛を使っていますね。この肉の位置付けというのは?
松本 私の店を立ち上げた時には、前沢牛はまだ日本一までは届いていなかった。日本で5本の指に入るかなという程度。前の店では松阪牛でしたが、その時からいずれ前沢牛は松阪牛に追いつき追い越すだろうと思っていました。前沢の様々なところを視察し、研究した結果、そう思ったんです。
角田 そんなこともあって、ご自分のお店ではメインの食材として前沢牛にしたわけですね。前沢牛の看板をお持ちとか…。これを取得するのはかなり大変だそうですね。
松本 はい。前沢牛の看板というのは、ほとんどが肉の卸し会社が持っています。レストランは前沢牛専門店と言っても、その看板を持っている卸し会社から仕入れるだけなんです。ですが私の店ではこの看板を持っているんです。
角田 ほとんどが卸し会社ですから、レストランが単独で看板を持っているところは少ないんでしょうね。
松本 非常に稀です。ちなみに埼玉県では私の店だけです。ほかには一切ありません。
角田 実際に使ってみて、前沢牛の良い所というのはどんなことでしょう。
松本 良い肉というのは良い種牛から生まれた血統の良い牛からとれます。肥育技術なども大切ですが、なんと言ってもこの血統というのがモノを言います。良い牛には必ず「子牛登記書」というのが添付されてきます。これを何代かさかのぼっていきますと、良い牛には必ず同じ様な素晴らしい血統が入っています。その中で、肥育技術、配合飼料、空気、水、その他様々な要因が相乗効果を発揮して素晴らしい食肉になるということです。それが前沢牛は群を抜いているんですよ。平均して高レベルの牛を多数、安定的に生産できているんです。バラつきが少ない。この安定度が抜群なんです。前沢に限らず、良いブランド牛はみなこのような考え方に立っています。その中で、昨年の品評会では前沢牛が日本一に輝いたということです。
角田 確かに前沢牛は素晴らしいのでしょうね。でも日本の黒毛和種というのはブランド牛でなくても、美味しいですよね。
松本 そうですね。これは元々日本の固有の種で大昔に兵庫県の但馬の黒毛種を元にして改良を加えてきたものです。黒毛和種という牛は元々日本にいたんですよ。平安時代の絵で牛車なんかを見ますと黒い牛が車を引いていますよね。
角田 そうだ、よく描かれているのは黒い牛ですね。さて、その牛肉ですが、最近はいろいろな問題が起こりました。一昨年には宮崎県で口蹄疫があって、たくさんの種牛が処分されるという悲惨なことになりました。
松本 そうでしたね。良い種牛は多くがあちらから来ていましたから深刻です。もちろん前沢でも独自の良い種牛がありますから逆に支援するという動きも見えましたね。
角田 それとは別に、最近ではチェーン店の焼き肉店では生肉で食中毒を出したこともありました。安価に販売するために安い肉を使い、衛生管理もずさんだったんでしょうが、何の事故も起こさずに長いことやってきた高級店にとっては迷惑な話でしたね。
松本 たとえば私も41年に渡って、牛刺しとか、牛のにぎりなど、生肉を扱ってきました。この間、何の事故も起こしていないんです。しっかりとした食材を使い、衛生管理をきちんとしていれば事故など起こるはずがないんです。
角田 そのようなお店がある一方で事故を起こすようなお店もある。これを十把一絡げにして、「すべてのお店で生肉を扱ってはあいならん」という規制をかけるというのはどうなんでしょうね。松本さんのお店で牛のにぎりが食べられなくなってしまう。
松本 それこそ味噌もくそも一緒という考え方。とりあえず全部禁止してしまえばいいだろうといった安易な対策ですよね。そのお陰で好きなものを食べられなくなる人が現れてしまう。こんなことでいいのでしょうか。とても疑問に感じますね。昔から続いてきた生食の文化を真っ向から否定してしまった。
角田 生の肉を食べるという習慣はあったわけですから、それを見境いなく否定するのではなく、もっと他の方法を考えることは出来なかったのでしょうか。
松本 そうですよね。とりあえず生では出せなくなりましたから、タタキにするとか、あるいは西京漬けにして出すとか、いろいろな方策を考えてはいます。でも、どんなことをしても「牛刺しを食べたい」というお客さんの気持ちを満足させることは出来ないんですよね。
角田 そうですね。さて、今後の抱負をひとつ…。
松本 後継者を育てたいですね。経験者ではなくて、やってみたいという人がいれば、全てを伝えたいと思いますので、連絡してほしいと思っています。
角田 お忙しいところを有り難うございました。
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