対 談

彩の国さいたま芸術劇場芸術監督近藤良平氏

クロッシングをテーマに
角田 この度、4月から彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督にご就任されたわけですね。おめでとうございます。と同時にありがとうございます。この劇場の芸術監督と言えば蜷川幸雄さんに次いでのご就任ですね。
近藤 はい、初代が諸井誠さん、2代目が蜷川幸雄さん、そして3代目が私ということになりました。
角田 近藤さんのご出身は東京と伺っていますが、幼い頃から海外でお過ごしになられたそうですね。
近藤 そうです。小さい頃は南米にいました。
角田 それはお父様のお仕事の関係ですか。
近藤 はい。父は浦和の出身なんですが、勤務先が商社でした。昭和40年代の頃の話ですが、その頃、アルゼンチン、チリなどに家族ごと行っていました。
角田 家族全員での転勤ですね。
近藤 そうです。その後も父はインドネシアとかユーゴスラビアなどにも行っていました。
角田 何歳くらいの頃の話ですか。
近藤 0歳から12歳までの間の8年半です。生まれてすぐに行って、5歳位の時に一旦帰って来て、また8歳くらいで行ったんです。1回日本に帰ってきていますので正味8年半ということになります。
角田 ということは小学校を終わるくらいまで、海外にいらして、中学は日本で入学したことになりますね。
近藤 そうです。
角田 大学もなかなか優秀なところだったそうですね。確か横浜国立大学とか。そんな生い立ちの中で、ダンスや芸術に興味を持たれたきっかけにはどんなことがあったのでしょうか。
近藤 10代の頃には舞台とかダンスのようなものへの興味というのはありませんでした。大学時代は教育学部だったので色々な勉強をするんですが、僕は小学校の先生になるために体育を専門にしていました。
角田 なるほど、中学や高校の教師になるのなら一般の学部卒でいいけれど、小学校の教師だけは教育学部を出ないといけないんですね。
近藤 そうです、そうです。その体育の中に一般舞踊というのがあったんです。その頃は男子がダンスなどに触れる機会はあまりなかったんです。みんなダンスに対してちょっと恥ずかしいと言うような気持ちもあったようですが、僕はそんなことなくて、なんだか楽しいと思うようになったんです。で、ちょうどブレイクダンスとかヒップホップなどが始まった頃なんですが、僕はそっちにはあまり興味が湧きませんでしたね。
角田 では、どのようなダンスに興味があったんですか。
近藤 表現っていうのかな、身体で表すというようなものですね。格好いい事をやりたいと言うことには興味がなかったんです。
角田 なるほど…。
近藤 音楽をすることとか絵を描く事っていうのは表現じゃないですか。ところがなぜか身体を動かすことは体育にはあったけど表現という感覚ではなかった。でも大学の時に身体を動かす表現というものがあるんだということに気がついたんです。
角田 つまり小学校の教師になるために教育学部で体育の勉強をしていたのが、単に身体を動かすだけの体育ではなくてアート的なものを感じられたんですね。
近藤 そうですね、それが大きいですね。さらにその当時、1988年頃のことですが、海外からダンスパフォーマンスなどが来るようになったんです。
角田 それらに触れて何かを感じられましたか。
近藤 クラッシックのダンスなどでは均整の取れた身体の人が踊っていたりしますよね。ところが海外からきた新しいダンスでは、例えば体重100㎏の人がやるパフォーマンスなど、様々な人がパフォーマンスしているんです。
角田 今までは想像出来なかった世界ですかね。
近藤 そう、こんな表現やっていいんだって…。
角田 視界がバーーンと広がった感じ?
近藤 そうそう、急に興味が広がりましたね。
角田 その結果、体育の先生になるのをやめて、そっちへ行ってしまったわけだ(笑)。
近藤 あの当時のことは思い出したくないけど(笑)。でも、両親の関係もあって、ちゃんと学校の先生になりますと言うことで大学に通っていたのに、かなり踏みはずしたんですよ。まさに勘当ものですよ。
角田 あの頃に芸術的なものをやりたいと思ってしまった若者は多かれ少なかれ家族からは反対されましたね。
近藤 そうですよね、そうですよね(笑)。で、既定路線から外れるために、いろんな方法で逃げようとして…、あ、逃げようって言葉はよくないですね(笑)。まず就職はしないと決めました。
角田 あはは、苦肉の策だ。
近藤 その当時だってアルバイターくらいですよ、言葉としてはね。
角田 あ、アルバイターって言葉ありましたっけ。
近藤 ちょうど出てきた頃です。リクルート社という会社が出来てね。でも、大きい大学を出て、それじゃまずいんじゃないかというような雰囲気もありました。
角田 芸術を追究するというのは大きなパワーも必要だし、まず最初から食べていけるわけじゃないですね。そのあたりの葛藤というのはなかったんですか。
近藤 南米で育ったこともあってか、どこかしら逞しさがあったと思います。お金がなくてパンの耳を食べるなど、ぜんぜん大丈夫なんです。贅沢したいというような気持ちもなかったんです。だから、そのようなことに関してはヘラヘラしていた感じです。
角田 う〜ん、成功の秘訣。大事なことだったのかも。
近藤 でも横浜国大の学生は真面目な感じが多かったんですが、そのあとで早稲田に移り住んだんです。それでわかったんですが、早稲田大学には変な学生が多いんです(笑)。僕と同じで学生なのか学生じゃないのかわからないような連中がたくさんいました。似た匂いのする学生がいっぱいいました(笑)。
角田 わかるわかる、高田馬場とか、そんな感じですね。で、具体的にこの道を進むためにどんな活動をしたんですか。
近藤 ダンスのレッスンは続けないといけないです。そのために身体を鍛えることも大切です。そのような活動をするためにアルバイトをしていた時期があります。そんな中で20代半ば頃にフジテレビの番組の振付をしないかという話が入りました。
角田 それは大きな話ですね。
近藤 それまではイベントの手伝いとかをしていましたが、それとは違って大きな仕事ですね。そこには安室奈美恵もいたんですが、当時、僕はあまり分かってなかった(笑)。そこで振付という仕事があるんだと言うことも認識しました。
角田 それがあったからかな、NHKテレビで朝の連続ドラマや大河ドラマなどで振付をしたりと広がっていったんですね。あのようなドラマの中でもダンスなどがあるんですね。
近藤 はい。20代の終わり頃には、どんなものにでも振付をしますよと言う自信は持っていましたね。
角田 さて、そのようにして大きな仕事をこなしてこられた訳ですが、彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督に就任されて「クロッシング」という言葉を発信されていますね。何をクロスさせようというのでしょうか。
近藤 まず舞台芸術として演劇、音楽、舞踊などのジャンルがあります。これ自身のクロッシングという意味合いがありました。次に劇場に足を運んで来られる人々とのクロッシングがあります。そしてこの劇場は県の劇場です。そこで他の地域の劇場などとのクロッシングが必要だと考えました。この3つのクロッシングを進めていきたいという意識です。
角田 なるほど、その3つですね。大切なものばかりだと思います。で、私はもう1つ考えられるものがあるように思うんです。例えばこのような劇場の公演が終わると観客の皆さんは一目散に駅へと向かいますね。これが東京の劇場でしたら、終わった後で素敵なカフェでお茶にしようとか、或いは食事をして帰ろうとかというように寄り道をします。埼玉県内の劇場ではそれがないんです。なんだか寂しい。今、クロッシングという言葉を伺って、こんなことも思いました。
近藤 いやぁ〜、まったくそう思いますね。彩の国さいたま芸術劇場から与野本町駅までの間に素敵なカフェなんてないですからね。
角田 与野本町駅までの道は広い歩道もあるし、きちんと整備されていて気持ちの良い道なんですが、沿線に素敵な店がないんですね。それでもこの劇場はとても魅力的な建物で、テレビ番組のロケなどにも使われていますね。
近藤 そうなんですよ。「コスプレイヤー」が撮影場所に使っています。「やんごとなき一族」もここが一族の自宅として使われていますね。土屋太鳳さんが出てるドラマですね。
角田 話が変わりますが、前芸術監督の蜷川幸雄さんはシェイクスピアを前面に押しだしていて、ここで初演を行うという形をとっていましたね。近藤さんはいかがですか。ここから発信して地方にまで広げていこうというのは…。
近藤 蜷川さんはここから始めて、地方どころか世界にまで広げていました。僕もいま芸術監督になったからというのではなくて、実はもう15年くらいこの劇場と関わっているんです。もちろんここから発信できるものはしたいです。蜷川さんと比較するのではなく、今のあり方を考えていきたいです。今年は秋から改築が入ってしまうので、実現できるのは少し後になります。
角田 先ほど、クロッシングについては伺いましたが、芸術監督として今後目指していきたい事などがありましたらお聞かせ頂けますか。
近藤 さっき、僕も大学生になってから振付という立場があることに気がついたという話はしましたが、それと同じように芸術監督もなかなか想像しにくいかもしれませんが、僕だけでなく、この後に続いてくる若い人達も芸術監督になりたいという人がいて良いと思うし、そのように繋げていきたいですね。芸術監督という役割があるんだと思います。
角田 芸術監督という言葉を昔は知りませんでした。監督と何が違うのかという部分で。
近藤 そうですね。
角田 例えば1つの作品における監督と、彩の国さいたま芸術劇場としての芸術監督、この2つのせめぎ合いのようなものはないんでしょうか。
近藤 どうでしょうかね、今はいっぱい顔出ししている状態ですね。実際、いまは「導かれるように間違う」の演出家ですからね。これは芝居ではあるんですが、かなり希有というか、身体を使った芝居とダンスの線引きが何とも言えない作品なので、観客の皆さんはまったく新しいものを見ることになると思います。
角田 非常に期待できるものなんですね。今まで感覚として見たこともないようなものと理解していいですか。
近藤 と思います。それともう1つ「ダンスのある星に生まれて」は彩の国さいたま芸術劇場オープンシアターとして、もっと劇場を知って体験してもらおうという役割があります。僕はそれはとても大事なことだと思っています。
角田 そのために様々な内容になっているようですね。
近藤 舞台を知っている人、知らない人、子どもさんなどを含めて、舞台上にも上がるし、音楽ホールに出たい人は出られるというような企画です。
角田 これは申し込んでから来るんでしょうね。
近藤 そうですね。
角田 本町ぶらリズムなんて、まさに街歩きですね。こんなのもあるんだ。
近藤 はい、街歩きも入れようとしています。
角田 大変面白そうですね。これからも益々のご活躍を期待しています。本日はお忙しいところをありがとうございました。