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対 談

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ノンフィクション作家野村路子氏

絶望の中で描かれた絵を展示

角田 いやあ〜ものすごいご無沙汰です。
野村 あはは、そうですよね。
角田 もう30年以上も前か、いや、もっと前か。タウン誌の関係でよくお目にかかっていました。たぶん私が30歳代くらいの頃かと…。
野村 そうかもしれませんね。あ、でもね私がテレジンの活動を始めたのは50歳代のころなんですよ。その頃に1回インタビューを受けたことがあると思います。テレジンの頃と言うことはやはり30年前くらいかもしれません。
角田 そうですね。一度対談をしていたとしてもこれだけの年数が経ってしまえば初めてのようなものです。読者の方ももう変わったいると思いますしね。ですから今回が初めてのつもりで進めていきますね。
野村 わかりました。
角田 まず、ご出身はどちらでしたっけ。
野村 東京なんですが戦災で家が焼けまして、疎開の感じで大宮に来ました。
角田 大宮ですか。どの辺りですか。
野村 盆栽村でしたね。
角田 それは素晴らしいですね、いまや盆栽村は高級住宅地ですよ。
野村 盆栽村は今年で100周年なんです。80周年の時に記念誌を作ったんですが、その関係で今年もやって欲しいと言われたんです。でも、もうとてもあんな事は出来ないと思って一部分だけ原稿を書くような座談会だけまとめるとか、そういうことだけお手伝いをして近く記念誌が出ることになりました。
角田 素晴らしいですね。盆栽村も東京から盆栽園の皆さんが疎開してきたことが起こりですね。野村さんはその盆栽村に移転してきて育ったんですね。
野村 はい。結婚するまではそこにいました。
角田 結婚されてからはどちらに?
野村 東京にいたり、埼玉に来たり、一時は大阪にもいましたが父のそばにいた方が良いと言うことになり、盆栽村はムリでしたが植竹の方に住んだりしました。
角田 植竹でしたら盆栽村は近いですね。
野村 その後、川越に移りまして大宮に帰ることを忘れました(笑)。
角田 ところで野村さんがタウン誌に関わっていたのはずいぶん昔だと思うんですが何年くらいタウン誌の編集長をされていました?
野村 大阪で始めたんですが、それからこちらに来てということになると10年くらいでしょうか。
角田 なるほど。そんな野村さんが10月3日から9日まで「子どもたちの命と希望」展を開いていましたね。私も拝見しましたが、これはアウシュビッツに送られる前にテレジンに収容されていた子どもたちの絵を展示するものですよね。
野村 その通りです。
角田 さきほどもテレジンの活動を始めたのは50歳代の頃だったとお話しされていましたが、これはどんなきっかけがあっての事なんでしょうか。
野村 偶然としか言いようがないんです。1989年の2月22日だったんですが、たまたまプラハに行ったんです。
角田 その日付にはなにか意味があるのですか。
野村 社会主義宣言の記念日だったんです。いずれ社会主義の国ではなくなっちゃうので、最後の記念日だったんですね。
角田 それはわかってて行かれたわけじゃないんですね。
野村 わかっていません。実は娘の卒業旅行で一緒に行ったんです。
角田 ほう…。
野村 娘が卒業旅行なのでどこかに行かないかって言ってきたんです。それまで娘は夏休みなどにいろいろな国に行っていたんです。パリだのローマだのロンドンなどってすでに行っていてつまらないので、ぜんぜん違うところに行ってみたいって。
角田 それでプラハですか。
野村 はい。ついてはね、1人では行かれない所に行こうという話になったんです。今1人では行かれない国なら社会主義の国だと言うことになってモスクワから入ってポーランド、当時のチェコスロバキア、ハンガリーと回る旅をしたんです。
角田 うーん、海外旅行をしようと言うときにあまり選ばない国ですね。ある意味度胸がありましたね。
野村 そう思います。「度胸あるね」って向こうの国の人にも言われました。で、1つの国を出る度にビザをとらなければいけないし本当に大変だったんです。ホテルも先に予約をしてバウチャーがないとビザが取れないとか。なんでこんな面倒な事をやったのかと思うことを母娘2人でやったんです。
角田 普通やらないなあ(笑)。
野村 そうでしょ。ガイドブックも何もないし、本当に観光地くらいしか分からない。でもその観光地を歩いているときにその記念日の人混みがすごくて歩けなくなってしまいました。仕方ないから今日はホテルで昼寝をしようということで裏通りを歩いていました。
角田 なるほどね。
野村 そしたら昔のユダヤ人街に入っちゃったんです。そこに小さな建物がありまして、入っても良さそうだったので何か見てこようかって入ったらそこに子どもの絵があったんです。
角田 その絵を見てどう思いました?
野村 何か特別上手ではない子どもの絵だったし、何故こんなところで子どもの絵の展覧会をやってるのかと思いながら見ていました。そしたら首吊りの場面を描いた絵にぶつかったんです。その時にドキッとしたんです。今まで普通の絵だと思っていたのは何だったんだろうって。それでパンフレットを貰いました。ホテルに戻って徹夜で辞書を引きながらそのフランス語のパンフレットを読みました。そこでテレジン収容所があったことと子どもたちが本当に辛い思いをしたことが分かりました。
角田 そのような境遇にあったこどもたちが描いた絵だったんですね。しかし首吊りの場面の絵はショックですね。
野村 テレジン収容所から次々とアウシュビッツに送られて殺されたという絶望的になっている時に楽しい時間を与えてやろうと命がけで立ち上がった大人がいました。そこで絵の教室が出来たということをその本の中で知ったんです。その途端に私だったら出来るかなって聞かれた気がしました。収容所にいてお腹も空いているし疲れてもいるのにわざわざ子どもの所に行って絵の教室を開くなんて、見つかれば殺されるかもしれないのに…。
角田 うん、簡単にできることじゃない。自分でも見て見ぬふりをするでしょうね。命がけでそんなことができるものではないから。
野村 その時、私は悔しかったんです。私には出来ないと思いながら。でもたった1つだけ出来ることがある。それは文章を書いて発表することでした。それまでも時々新聞などに記事を書いていましたから。それで日本に帰ったらさっそく文章を書きました。それが人の目にとまってやりましょうという話になりました。
角田 普通はそのような絵を見てどんな絵かを理解してもその段階で、ああショックでしたで終わるんですよ。だから帰国してこのような活動につなげていこうとは思わないんですね。それが野村さんの場合は長いこと続けたきた訳ですが、その原動力とはいったいどんなものだったんですか。
野村 自分でも良く分からないんですよ。元々そういうタイプでもないし。でも1年経っても気持ちが変わらないんです。それで東京の広尾にあるチェコ大使館に行きました。そこで「プラハで見た子どもの絵についてお話をしたい」と言いました。そしたらすぐに本国に連絡をしてくれました。
角田 それでどうなりました?
野村 「遠い日本の女性があの絵に心をとめてくれたことは嬉しい。展覧会を開きたいならすぐにプラハにおいで下さい」ということでした。
角田 それはすごい。
野村 こうなると行かないわけにはいかなくなっちゃいました。
角田 まさに偶然に偶然が重なったような感じですね。
野村 みなさんとても良い人で、だから辞められなくなってしまいました。
角田 プラハには何度も行かれているんですか。
野村 27回ですね。
角田 凄いですね。ところでこれらの絵は原画ですか。
野村 日本で展覧会をするのにどのくらい必要なのか聞かれたので「150枚貸して下さい」と言いました。そしたら絵を写真に撮ってくれました。原画はとても小さな絵だったので展覧会用に大きく伸ばしてくれました。ですから原画ではありません。しかも「利益追求に使うのでなければ永久的に使用することを許可します」と言ってくれました。それをパネルにして展覧会をしています。このパネルももう30年使っています。北は北海道から南は沖縄まで動いています。
角田 う〜ん、それならデジタル化しておいた方が良いですね。
野村 ええ、今はデジタル化しています。
角田 アウシュビッツでひどい虐殺が行われていたことは誰でも知っていると思いますが、子どもに特化した話はあまり知られていないかもしれません。
野村 私もテレジンなんていう収容所があったことは全く知りませんでした。いつも誰かに後押しされながらここまで来たのかなって思います。
角田 こうなってくると野村さんのこの活動は一生ものですね。
野村 う〜ん、あと1年か2年かなって思っているんですけど、でも誰かが展覧会を続けてくれたら良いなって思っています。
角田 年に何回くらい展覧会を開いているんですか。
野村 あちこちで年間10回くらいやっているのかしら。
角田 かなりの回数ですが、それは野村さんの方から各地に話を持って行くんですか。
野村 最初の1年か2年は私の方からいろんな人に話を持って行きましたけど、最近はいろいろな方が新聞を見たりして「うちでも開けないか」って言ってきてくれるようになりました。
角田 今でも戦争はなくならないんですよね。21世紀にもなってなんて馬鹿なことをやっているんだろうと。
野村 思いますねぇ。今のイスラエルの人も昔は迫害を受けていた人の子どもか孫の世代ですよね。なんとも悲しいですよ。ガザで子どもたちが飢えているじゃないですか。
角田 そうですよね。今回の展覧会ではテレジンの子どもたちの絵だけでなくガザの子どもたちの絵もあるんですね。
野村 はい、テレジンの子どもたちの絵とガザの子どもたちの絵を一緒に並べたかったんです。どちらの子どもたちも生きたいと願っていて、幸せになりたいと思っているんですから。80年も経って同じ事になっています。
角田 ガザの子どもたちの絵を集めるのも大変でしたね。
野村 かつてガザにいて子どもたちに絵を描かせたという絵描きの人がいました。今はフランスに住んでるんですが、日本で多くの人に見てもらえるならと貸してくれましたので集めることが出来ました。
角田 素晴らしいですね。このような展覧会を開くのも大変ですがお身体には気をつけてぜひ多くの人に見てもらって下さい。ご活躍を期待しています。