しあわせとは

埼玉ヨーガ禅道友会 前会長

角田照子

 
 
 生きている目的は? とたずねるとしあわせになりたいというところに落ち着くようです。では具体的にしあわせの条件は? とききますと、一般的には、いつまでも若々しく元気でいたい、地位名誉がほしい、物質的な豊かさ、肉体的快楽……といろいろあります。これらはみなしあわせを満たす条件に違いありません。これはこれでよいのですが、しかし人生は時々刻々生滅変化しています。仏教では「諸行無常」を説きます。また生命は「生と存在と死」との限られた時間と空間の中におかれ誰も逃れることは出来ません。これも大きなとらわれであり、厳しい束縛です。
 しあわせの条件である健康、地位名誉、肉体的快楽、物質的豊かさ、更に生命さえもいつ消え去るか、くずれ去るかわからないはかなさと不安をたたえていることをどうしても認めざるを得ません。手に入れたしあわせへの執着が強くなればなるほど失うまいとする苦しみを生じます。
 「歓楽極まりて哀愁多し」という言葉があります。楽しい宴にも寂しさと孤愁がただよう心の繊細なありようにはどうしようもないとまどいがあります。
 このように心はゆれ、おののいています。
 
 そこでインドの賢人、哲人は「完全な心の幸福」のあり方を、何ものにもとらわれず、執着のない自由な真のたましいの解放、つまり「解脱」におきました。
 この境地をめざし求めていくことがインドにおけるヨーガの究極の目的としています。
 このように考えますとヨーガの目的は気の遠くなる高遠な道ですが、高きを一気に望まずヨーガ行法をやりながらそれによって生じてくる健康のよろこびや心のやすらぎにホッとし、ヨーガと共に生きてゆくことが「しあわせ」を得る近道と思います。
 私が27年前、2回目にインドのヨーガの聖地リシケーシのシヴァ・ナンダ・アシラムを訪れた時、朝4時からの瞑想行に参加しました。そのあとやわらかい朝日の差し込む屋上で、今は故人となっている長老のスワミ・シバシャンカラナンダジのお話を拝聴しました。
 「みなさん、あちらへゆく時はなんにも持っていけませんよ。宝石も、お金も、地位も、名誉も、なんにも。とらわれの心、欲望を捨て、心と体を清浄にして、オームを唱え瞑想をして下さい」と、わかりやすい日本語でいくども、いくども繰り返し話して下さいました。本当にその通りだと思いました。
 ヨーガを行じてゆくと、心と体につけていた重たいものが1つ1つ消えてゆき身軽になって自由な空間世界の中に入ってゆけるようです。
 ヨーガはもと手いらず、「しあわせ」を手に入れる易行です。

インドヨーガの聖地リシケーシのシヴァ・ナンダ・アシラムで。
佐保田鶴治先生(左)とスワミ・シヴァ・シャンカラナンダジ(右)
〜昭和51年1月インドヨーガ研修の旅にて〜