宮原裕子(鍵盤ハーモニカ奏者)

鍵盤ハーモニカに魅せられて


角田 宮原さんは鍵盤ハーモニカのプロ奏者と伺っています。鍵盤ハーモニカというと、私たちにとってはピアニカという名前で認識していますが
宮原 そうでしょうね。でもピアニカというのはあるメーカーの商標ですから一般的には鍵盤ハーモニカと言っていますね。
角田 そうだったんですね。ところで最初から鍵盤ハーモニカの演奏に興味を持たれたんですか。
宮原 いえ、最初はオーボエなんです。これは中学校の時からですね。
角田 中学というと、クラブ活動で始めたと言うことでしょうか。
宮原 はい。でもその前、小学校時代のことですが、学校が嫌で、よく泣いて帰ってきたんです。
角田 ほう、それはどうしてですか。
宮原 「人」がね、苦手だったんです。ですが、3年生の時に初めてプリントの端に「校歌の伴奏を弾きたいです」って書いたんです。それを音楽の先生が拾って下さって「じゃ、弾いてごらん」って言われました。こんなことが自信につながって、学校に行くのが嫌ではなくなっていったんです。
角田 それはピアノでの演奏でしたか。
宮原 はい。ピアノは5歳くらいの頃からずっとやっていましたから。
角田 でもよく書きましたね。
宮原 その当時の私にとっては勇気を振り絞って書いた一文だったんですよ。
角田 なるほどね。そして中学に入って、クラブ活動で音楽を始めることになるんですね。
宮原 それが 、音楽が好きで好きで小学校の時はずっと音楽をやっていたので、中学に入ったら格好つけて運動部に入ったんですよ。
角田 あらら、それはまた意外な
宮原 最初は仮入部ということだったんですけど、運動部に入って1週間、吹奏楽部の音が聞こえてくるのが我慢できませんでした。その時初めて、「私は一生音楽から離れられないんだろうな」って自覚したんです。
角田 運動部は?
宮原 1週間で辞めました。それで吹奏楽部に入り直しました(笑)。後から入ったので、「とりあえず余っている楽器をやりなさい」と言われて太鼓を叩いていました。その後、学校でオーボエを買ったんです。ちょうどオーボエが普及し始めた頃でした。「後から入って太鼓を叩いていたけど、オーボエはどうですか」と言われましたね。
角田 と言うことは自分でオーボエをやりたいと言って始めたわけではないんですね。
宮原 そうなんです。多分ちょっと器用そうだったんでしょうね、それでオーボエをあてがって下さいました。それ以来音楽は好きだし、オーボエも吹けたし、そのままオーボエで音楽大学に進みました。
角田 大学はどちらでしたか。
宮原 桐朋学園大学音楽部です。
角田 それにしても、たまたま始めたオーボエを大学で専攻するまでになるとは、考えてみるとすごい偶然というか
宮原 そうですよね。でも良かったのか悪かったのか、自分で選んでいないということから、本当に私はこれでいいんだろうかという思いがありました。
角田 オーボエに何か違和感のようなものがあったんですか。
宮原 オーボエは本当にすばらしい楽器です。音色も素晴らしいし、オーケストラの花形です。ですがギネスブックに載るほど難しい楽器でもあります。なので、自分としては常に100%の演奏が出来ていない気がして、「良かったよ」って言われても受け入れられなかったんです。
角田 他人の評価がどんなに良くても、自分で納得出来なかったということなんでしょうね。
宮原 ですからその頃はずっと葛藤していました。音楽を楽しむと言うより、きちんとやらなければという思いが強かった。
角田 大学でオーボエを専攻し、卒業してプロになってもオーボエの演奏をしていたんですよね。
宮原 はい。 15年くらいはずっとオーボエをやっていたことになりますね。
角田 それだけ長い期間オーボエをやっていたのに、鍵盤ハーモニカに出会ったのはどうして、どんな経緯があってのことだったんでしょうか。
宮原 なんとなく欲求不満を抱えながらオーボエの演奏活動をしていたんですが、ある時、ユーチューブを見ていたら、ピアニカをお腹にさげて、悩みや欲求不満などをものともせずに自己表現をされている演奏家がいたんです。
角田 その演奏家というのは?
宮原 松田昌さんという方でした。もともと世界的なエレクトーン奏者なんですが、鍵盤ハーモニカのプロ奏者でもあります。その演奏の音が迫ってきて、私もこんなふうに演奏したい。だからこの方に教わりたいって思いましたね。

角田 それで行動を起こしてしまった?
宮原 はい。すぐに「弟子にしてください」って言ったのが4年くらい前です。
角田 すぐに受け入れてもらえましたか。
宮原 たくさんファンのいる方なので、先生に声を掛けた人も大勢いたようですが、「口の中どうなってますか」とか「楽器どうなってますか」と言った人は初めてみたいで、受け入れていただけました。
角田 オーボエから鍵盤ハーモニカに変わると言うことは、当然楽器を買わないといけないですよね。でも、これってそんなに高価な楽器ではないですよね。
宮原 今持ってきたこの楽器は木製の鍵盤ハーモニカで13万円くらいだったかな。
角田 そんなにするんですか。われわれが考えている鍵盤ハーモニカとは大変な違いだ。
宮原 とは言っても、たかが鍵盤ハーモニカですので、普通に吹いちゃうと身も蓋もない(笑)。
角田 鍵盤ハーモニカって、普通は子どもたちが学校で習うものですよね。そのようなイメージがあるから、プロの奏者ってどんな演奏をするんだろうって興味がわいてきますね。
宮原 そうでしょうね。
角田 ところで何となく欲求不満があったオーボエから鍵盤ハーモニカに転向してみて満足感は得られましたか。
宮原 はい、得られました。オーボエで依頼が来たのに「鍵盤ハーモニカを吹かせて下さい」って言うと、「えっ?」っていうことになります(笑)。でも、「まず聴いて下さい」って言います。こうしてこの4年間、オーボエでいただいた依頼をひたすら鍵盤ハーモニカに塗り替えてきました。
角田 ところで、そうやって塗り替えるほどに満足感が得られた理由というのはどんなところにあるんでしょうね。
宮原 オーボエはもともと楽器が素晴らしくて、ドレスを着ているような音です。だから私がどのように演奏しても皆は素敵だって思ってくれます。でも、この楽器は普通に吹いたらただのピアニカ(笑)。そこのところをどうしたらいいのか、音に関するすべての責任は私にあるんです。ゼロからスタートしているところが気持ちいいんです。
角田 この楽器は首からぶら下げて演奏するのと、机などの上に置いて、ピアノのように演奏するスタイルと両方の使い方が出来ますね。
宮原 首からさげて演奏すると、左手がピアノとは逆になるんです。
角田 こんがらがってしまいそう。
宮原 ですから下げて演奏するのは初めは慣れるまで大変です。それとオーボエは常に1つの音しか鳴らないのですが、この楽器は2つの音を出せば息が2倍。3つの音を出せば3倍必要になります。
角田 なるほど、和音を出そうとすると息がたくさん出てしまうわけだ。つまり息が続かなくなる。
宮原 そうなんです。で、循環呼吸というのを手に入れたりするんです。
角田 循環呼吸?
宮原 吹きながら呼吸をするんです。
角田 なるほどねぇ。この楽器は我々が吹くとどうってことのない音が出てしまいますが、プロの奏者が演奏するとまったく違うものになりますね。なにか特別な技術などがあるんでしょうか。
宮原 自分の音を聞き、どのような音を出したいのか、突き詰めていくことが必要です。なにか抽象的な言い方ですが、「お腹でしっかり支えましょう」とか、「このように息を入れましょう」など技法的にはいろいろあります。
角田 なかなか難しそうですね。
宮原 あ、6月にヤマハから本が出ました。
角田 それは宮原さんの著書ということですか。
宮原 はい。そこにも様々な技法が書いてあります。
角田 本のタイトルは?
宮原 「大人のピアニカレパートリー」です。「大人からはじめる趣味の鍵盤ハーモニカ」という副題がついています。CDもついているんですよ。
角田 それは素晴らしいですね。ところで今後オーボエに戻ることはないのでしょうかね。
宮原 わあ、今まで聞かれたことのない質問です(笑)。でも、無いとは言い切れないですよね。戻ると言うよりも、ピアニカで得た感覚を持ってオーボエも吹くという感じでしょうか。でも、今は鍵盤ハーモニカですねぇ。
角田 よくバロックの演奏をされているようですが
宮原 時には他のジャンルの曲も演奏しますよ。でもこの楽器にはバロックがよく合います。バロックの時代というのは楽器が成熟する前の時代ですからよく合うんでしょうね。
角田 なるほどね。さて、今後はどのような活動をしていくのか、抱負がありましたら
宮原 抽象的かもしれませんが、この楽器を持って自分と向き合って音楽を続けていくということ。自分を探すことイコール音楽活動だと思っています。そのような活動をしていきたいですね。
角田 最後に今後の演奏情報などをお知らせ下さい。
宮原 松田昌先生の鍵盤ハーモニカ活用術というセミナーが7月13日に東音ホール(巣鴨)で行われます。私も出演します。また9月16日には戸田市で戸田市音楽祭があります。さらに1013日から14日まで渋谷のサラヴァ東京で鍵盤ハーモニカフェスティバルが開催されます。
角田 楽しそうなイベントになりそうですね。今日はお忙しいところを有り難うございました。