岡田光正

影絵作家

郷愁を誘う作品に憧れて

 

  • 角田 いやぁ~、本当にお久しぶりで。岡田さんとは何十年ぶりの再会なのか、よく分からない状態になっていますよ。大変ご無沙汰しておりました。

    岡田 こちらこそ。そうですね、もう45年ぶり位になるのでしょうか。

    角田 岡田さんには昭和48年9月号(創刊号)から昭和50年の12月号まで、武州路の表紙を担当して頂きましたね。ですから計算しますと昨年の12月号で43年ぶりと言うことになるのかな。創刊号の時から計算すれば45年以上ですよね。左の写真が創刊号の表紙になった作品ですね。

    岡田 そうでしたね。「丸木橋」と題した作品です。創刊前から先代の編集長と打ち合わせをしていましたから、45年は間違いないです。でも、角田さんもその時にいらしたのを覚えていますよ。

    角田 私も覚えています。ところで武州路の表紙を担当するようになったきっかけというのは?

    岡田 まだ私がサラリーマン時代の事なんですが、NHKのテレビで童話の人魚姫をやることになったんです。そのことを当時の埼玉新聞が大きくドーンと報道してくれたんです。その後、埼玉新聞の編集局長から「これから新聞社を辞めて、武州路という月刊誌を作るので表紙を担当してくれないか」と持ちかけられました。

    角田 なるほど。

    岡田 「武州路」という本の題名からして、私が描いているような童話風の作品がいいんじゃないかということで、来てくれたんです。当時、私も忙しくはなっていたんですが、このような良いお話しは嬉しかったので、すぐに引き受けることにしました。

    角田 岡田さんの、この絵の作り方というのはご自分で研究されたものなんですか。

    岡田 昔、会社に勤めながらイラストを描く仕事もしていたんです。二股をかけてました(笑)。

    角田 そうなんだ、元々イラストレーターでもあったわけか。

    岡田 はい。絵が好きで10歳くらいの頃から絵を描いていました。子どもの頃から絵の勉強をしたり、投稿したりしていました。時々新聞に取り上げられたりもしました。

    角田 子どもの頃から絵が好きな少年だったんですね。

    岡田 はい。それで、有名な作家で藤城清治さんという方がいらしたんですが、私が20歳の時に藤代さんの本を見たら、影絵の作り方という記事があったんです。影絵の魅力にはまりまして、今までのイラストをやめて影絵をやろうということになりました。

    角田 影絵の作品というのは、色を出すにはセロハンとかをつかうのかな。それを布か何かに映し出す?

    岡田 布ではなくてトレーシングペーパーですね。50×40くらいの大きさの枠を作って、そこにトレーシングペーパーをセットします。絵で言えばこれがキャンバスですよね。

    角田 そこに映ったものを写真に撮影するということなんですね。

    岡田 そうです。

    角田 作品を拝見すると、少しぼやけた映像とハッキリとしてピントのあった映像とがありますね。これはトレーシングペーパーへの距離を離すか近づけるかで効果が出るんでしょうね。

    岡田 その通りです。キャンバスの幅は3センチくらいなんです。そこに紙が3枚入っています。トレーシングペーパーが表面と中と、後ろとに分けて入れています。

    角田 あ~、なるほど

    岡田 そうすると、ちょっと離れた所はボケてきて、うんと離れた所はかなりボケてきます。

    角田 トレーシングペーパーが3枚入るというのは、初めて聞きました。そうなんですか

    岡田 3枚くらいですね。あんまりたくさん入れると映らなくなってしまいますからね。まず下絵を描いて、切って、色を組み合わせて、貼っていきます。とても時間のかかる作業です。だから影絵作家というのはあまりいないんです。

    角田 最後はカメラも必要だ。

    岡田 そうそう(笑)。この撮影というのもけっこう難しいんです。光を当てて作り出した映像ですが、青とか黄色などは不用意に撮影すると色が飛んでしまうんです。これらの色を定着させるのが難しい。

    角田 話が前後しますが、先ほど子どもの頃から絵を描いていたということでしたね。何歳くらいの頃から興味を持ったんですか。

    岡田 子どもの頃、手塚治虫さんに憧れていました。鉄腕アトムが始まったのは昭和26年でした。その時私は10歳だったんですが、鉄腕アトムが出る前から手塚治虫さんの絵に憧れて、古本屋とか古本市などで買ってきました。あの頃、本当は漫画家になりたかったんです。

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  • 角田 でも漫画家への道は進まなかったんですか。

    岡田 あの頃、漫画が劇画の方向へ進み始めました。でも私の絵はどちらかといえばおとなしい絵なので、劇画にはあいません。いろいろな出版社を回ったりしたんですがダメでした。まあ、年齢も20歳でしたし、なかなか採用されませんでしたね。そんな時に出会ったのが影絵だったんです。

    角田 なるほどね。

    岡田 私の絵は劇画調じゃないからファンタジーとかメルヘンとか郷愁、心の故郷のような影絵に合っているんだと思いました。それで影絵に転向しました。

    角田 それからNHKに取り上げられるようになったんだから凄いですね。

    岡田 影絵に転向してから10年しか勉強していなかったのにNHKに採用されたんです。そういう意味では転向して良かったですよ。

    角田 NHKの仕事をしていた頃は、会社は辞めていたんですか。

    岡田 それが、まだ辞めていなかったんです。本当の意味でプロになるのはもっと後のことでした。

    角田 こればかりは度胸もいりますよね。会社を辞めてプロとしてやっていこうというのは、不安があって当然です。

    岡田 まったくです。

    角田 はっきり言って絵でも影絵でも写真でも、音楽、演劇など何でもそうだと思うんですが、アートとか芸術とかいうものは、長いことそれで食べていけないのが当たり前のような世界ですよね。たまたま食べられるようになる方が珍しい。そういうものでしょう。だから決心をするにはよほど強い意志が必要になるんだと思いますよ。

    岡田 まさにその通りですね。自分の感性で作り上げていった作品が結果として多くの人に受け入れられる。それは並大抵の事ではありませんね。昔は絵描きは職業として見てもらえなかったくらい。

    角田 会社に勤めていれば、絵で一本立ちが出来るという自身がつくまでは会社を辞められないというのは当たり前のことですよ。

    岡田 収入がいっぺんで無くなっちゃうからね。でも、人生は一度切りだし、やりたいことをやった方が良いと思って結局はプロになりました。

    角田 岡田さんが影絵を作る題材というのは、主にどのようなところに求めているんですか。

    岡田 基本的には私が子どもの頃に遊んだことや、それらに対する郷愁などですね。東京生まれなので、なかなか田舎のイメージというのは解りにくいので、心で感じた故郷を描いています。でもそれだけではなくて、メルヘン的なものやファンタジー的なものも表現したいと思って描いています。

    角田 東京のどちらですか。

    岡田 王子なんです。神谷の方なんで足立区との境みたいな所です。すぐそばに荒川や隅田川があって友達とトンボ取りや魚獲りなど、いろんな遊びをしました。

    角田 そうか、神谷の方だったら東京都は言っても、その頃はまだまだ懐かしい風景はあったでしょうね。

    岡田 そのような心の風景が基本にあります。

    角田 私も子どもの頃は赤羽に住んでいました。荒川や新河岸川の近くだったので川原や土手にはよく遊びに行きましたね。東京都は言ってもまだまだのどかな地域でした。

    岡田 赤羽ですか。私もよく遊びに行きましたね。

    角田 子どもの遊びで、雑草を束ねて結んで輪を作ります。あちこちに作っておくとそれに足を引っかけて転ぶ人が出てきます。そんなことをして遊んで、怒られたり

    岡田 蛙を捕まえてきて、ひどい悪戯をしたり。

    角田 ああ、空気入れね。あれはひどい。昔の男の子はいろんな遊びを体験しましたね。それらが岡田さんの作品のバックに流れているのかも知れないですね。

    岡田 それは間違いないことだと思います。

    角田 さて、これから先の事ですが、こんな事をしてみたいというおゆなものはありますか。

    岡田 なんと言っても、故郷的なものを題材にした作品をこれからも作り続けていきたいと思っています。それと、今までは大きな原画を作っていたんですが、これからは少し小さめな原画も作っていこうかと思っています。

    角田 小型の作品でしたら商品化して販売も考えたら良いのではないですか。

    岡田 そうですね。これからは商品化も考えていきたいですね。

    角田 販売を考えた場合には2通りの販売方法がありますね。1つは写真に撮影した作品を販売すること。もう1つは原画というか、作った作品そのものを販売してしまうこと。どちらが現実的なんでしょうね。

    岡田 やはり一般的には写真に定着した作品を買って頂くというのがいいのかな。

    角田 原画を売ってしまったら、無くなっちゃう(笑)。

    岡田 そうですねぇ

    角田 影絵を作る教室なども考えたら如何ですか。

    岡田 それは23年間、やっていました。影絵と切り絵を教えていましたよ。でも病気をした時に、辞めてしまいましたから、今はやっていないんです。

    角田 でも、とても素敵なので、又考えたら良いんじゃないですか。

    岡田 そうですね。もう食べることと同じくらい自分の体に入っていますから、死ぬまで様々な形で活動していきたいと思っています。

    角田 いいですね。これからも頑張って下さい。今日は有り難うございました。