清水マリ

声優・女優

鉄腕アトムの声を40年!

 

角田 清水さんとおっしゃれば、我々の世代ですと鉄腕アトムということになるのですが、初めてこのような仕事を経験されたのはお父様の劇団だったと伺っていますが
清水 そうですね、父が浦和で表現座という劇団を作っていたんです。戦後間もなくのことで、あまり楽しみのない時代にご近所の青年を集めてボチボチ芝居をやっていたんです。夏祭りなどには屋台を組んで楽しい芝居をやっていましたね。
角田 それに出演したということですね?
清水 夏休みに子どものためのものをやりたいと言うことになって、埼玉会館でおこなったんですが、その時にピノキオを題材にしたんです。
角田 なるほど。
清水 ところが劇団には大人の人ばかりで子役がいなかったんです。愛川欽也さんもいたんです。
角田 そこに子役としてピノキオをやったんですね。
清水 私が中学1年の時でした。「そのへんでチョロチョロしてるんだから、おまえがやれ」と言われてやることになりました。初めての演技でした。
角田 埼玉会館、当時はまだ今の建物とは違いますね。
清水 はい、木で出来ていて、階段を歩くとボコボコ音がしていました。
角田 初めて演技をしてどう思いましたか。楽しいと思ったんでしょうか。
清水 はい、楽しかったですよ。
角田 この道に入っていくきっかけが、それだったんでしょうね。
清水 そうだと思いますね。で、その後は学校でも演劇部に入りました。
角田 それは高校生の時ですか。
清水 中学から演劇部に入りました。
角田 確か、清水さんはさいたま市緑区の原山中学校でしたよね。原中には演劇部があったんだ
清水 あったんですよ。卒業の時は若草物語をやりました。私はジョーの役で、口笛を吹くんです。その練習を家でしていたら父に叱られてしまいました。女の子が口笛なんて吹くんじゃないって。
角田 とは言っても演劇の練習だからしょうがないですよね(笑)。
清水 中学を出たらすぐにでも演劇の道に進みたかったんですが、父が高校だけは出ておけと言うものですから、西高に進みました。
角田 浦和西高校ですね。
清水 高校に入るときに浦和一女も考えたんですが、あそこだと女の子ばかりですし、演劇をやるのに女子ばかりではねぇ 。演劇を目指して西高に行ったような感じですよ。
角田 確かに男女がいた方が演劇にはいいでしょうね。西校っていうと、この間のサッカー日本代表監督も西校でしたね。
清水 はい。西野監督ですね。同じ高校ですね。
角田 そういえば、西野監督も原中から西高でした。中学、高校とも同じだ(笑)。
清水 中学生の時にピノキオをやったときの先輩も演劇部にいたりして、そういう意味ではとても良かったです。ですから、あのピノキオがなければどうなっていたかわからないです。
角田 ピノキオがなかったら演劇部に入っていたかどうかもわからないですからね。で、高校を卒業されてからはどうされました?
清水 俳優座の養成所に入りました。ストレートで入ったんですが、それも父が反対でした。
角田 お父さんは劇団をやってらしたのに反対だったんですか?
清水 その当時はまだ映画と舞台とNHKの放送劇団くらいしかなかったんです。民放もなかったし。で、父に言わせると若い女の子が映画などの世界に入ると、いろいろと事件が起きるということらしいんですよね。父としてはそういう伏魔殿みたいな世界に娘を入れたくないと思っていたようです。
角田 なるほどね。その気持ちもわからないではないですね。
清水 で、養成所の卒業までの3年間は許してくれまして、そこで才能がないとわかればすぐに辞めろといわれていました。
角田 養成所の3年間が過ぎた後は?
清水 養成所を卒業してから劇団新人会という所に入ったんです。この時も父の劇団の表現座でピノキオをやったときにサーカスの団長さんをやっていた方などが皆いまして、「うちの劇団に来い」っていわれて入りました。
角田 ここでもピノキオの時の縁が続いていたんですね。
清水 本当ですよね。ピノキオがなければこの仕事をやっていたかどうかわからないですね。
角田 それで鉄腕アトムの声優をやることになる経緯というのはどんなことでしたか。
清水 鉄腕アトムをやるについて、アトムの声優に誰が良いかっていう話になったんですが、その時、手塚治虫先生のそばに、またしても表現座でやっていた人が制作者としていたんです。で、手塚先生がアトムはロボットだけど、木の人形をモデルにしているからピノキオが原点なんだっておっしゃったそうです。
角田 ほう、それは面白い。
清水 「それなら、昔、中学校の時にピノキオに出ていた子がいるから、その子はどうですか」って言って下さったんです。
角田 う~ん、どこまでもピノキオ時代の縁が続いているんですねぇ。すごい話だ。
清水 そうなんです。昔の縁で、たくさんの人に助けられながらやってこれたんですが、そのことに気がつくのは後になってからですね。その時は気がついてないんです。まだ若かったからでしょうか、アトムの声優に選ばれたのも、自分の力だって思い上がっていたように思います。
角田 それはいつ頃のことでしたか。
清水 昭和 37年でした。最初はパイロット版を作って、放送局に売り込みに行くんですね。結局フジテレビが購入してくれたんです。それで 38年の1月1日から放映されました。
角田 そうだった。フジテレビでしたね。
清水 はい。それでね、アニメって、とても制作に費用がかかりますよね。でも手塚先生は国産初のアニメをやりたかったから、フジテレビの言い値で契約してしまいました。
角田 安い値段だったのかな。
清水 はい。で、今アニメ業界で価格が安いのは手塚先生が最初に安い値段でOKしたからだって言われているようです(笑)。未だに上がってこないとか。
角田 最初の価格がベースになっちゃったんですね。
清水 鉄腕アトムの最初のシーンはアトム誕生の場面なんですが、ベッドから降りて、転んだりしながら天馬博士の前に来て「お父さん」っていうだけなんですが、このとき、手塚先生は「あ、アトムに魂が入った」って感激してくれました。
角田 ところで清水さんは俳優座の養成所からスタートしていますから、普通は女優と言うことになるんでしょうが、声優の色彩が強くなっていったのはアトムのせいだったんですか。
清水 いえ、アトムをやる前から、外国映画の吹き替えなどをやってましたね。あのころは録音や録画の技術がなかったので、いきなり生で声を当てていったんです。
角田 うわ~、それは大変だ。
清水 後になって録音が出来るようになるまでは大変でした。
角田 アトムの時代は録音できたんですよね。
清水 はい。でもね、今のデジタルの時代ではなかったので録音テープですから切ったりできないですよね。だから誰かが失敗するとまた、最初からやり直しなんていうこともありました。最後のところで間違えてもまた頭からになるんです。
角田 それはそれで、大変ですね。
清水  30分の番組を録音するのに8時間くらいかかりました。
角田 疲れちゃいますね(笑)。
清水 その頃は飲み屋さんとか飲食店が今のように豊富にあった時代ではないので、終わったらまっすぐ家に帰るような生活でした。
角田 ところで手塚治先生というのは、どんな感じの方でしたか。
清水 とても紳士的で、私たちに対しては優しい方でした。いつもお世話になりますって、低姿勢でね。眼鏡の向こうでニコニコ笑っている人でした。
角田 大天才ですからね。それなのに奢った感じがなかったんですね。
清水 そうですよね。でも、その頃私たちは新しいアニメを作る仲間ぐらいにしか思ってなくて、「ねえ、手塚さん、ここ、おかしんじゃない」みたいに気軽に話していました。後になって手塚先生のことを神様みたいに言われていましたけど、神様に気安く話しすぎたかななんて思いました(笑)。
角田 結局、アトムの声優は何年くらい続けられたんですか。
清水 本編4年間の他に、コマーシャルやら再放送やら、アトムの仕事は全部私のところに来ていましたので、全部入れるとアトム担当 40年です。2003年までやっていました。アトムが出来たとき、アトム誕生の年は2003年という設定でした。ずっと未来の話をやっていて、その未来に来ちゃったところで終わったんです。
角田 それも何か因縁を感じますね。ところで清水さんはアトム以外にもいろいろと活動されていますよね。
清水 アニメでは妖怪人間ベムで一番下の男の子のベロをやったり、宝島で少年役をやったりしました。それと今は語りを多くやっています。
角田 最近ではどんな?
清水 みのりの会というのがあるんですが、そこで朗読の指導や演出などをしています。直近では8月 18日に岩槻で目と耳で楽しむ「おはなし劇」の会をおこないます。
角田 みのりの会というのは?
清水 「子どもたちの表現力を豊かにするために、まず教師自らの表現力を」ということで1985年に発足した会です。
角田 ということは朗読をするのは学校の先生たちですね。
清水 そうなりますね。あとは大宮の東光寺で満福寄席というのがあるんですが、それに朗読で出演しています。これは北沢楽天のユーモア精神を継承しようと行われてきたもので私が朗読します。また氷川神社の氷川の杜で行うものもあります。
角田 そのような活動も良いですね。
清水 私の息子も劇団花鳥風月というのをやっているんですが、その公演が8月 30日から9月2日まで行われます。
角田 それはどんな内容ですか。
清水 「生命の欠片」というんですが、国境なき医師団の活動に感銘を受け、医者となった青年が念願かなって国境なき医師団に参加するんです。花鳥風月の 20回公演を記念して行うもので、感動のヒューマンドラマになっています。会場は「日暮里dー倉庫」という劇場です。日暮里駅南改札口から徒歩7分で行くことが出来ます。
角田 問合せはどこにしたらいいですか。
清水 電話は048(885)7358です。
角田 息子さんともども活躍が続きますね。今後ますます素晴らしい活動をして下さい。今日はお忙しいところを有り難うございました。