尾崎花苑

マルチに活躍する才女

 

  • 角田 尾崎さんは書家ということなんですが、詩人でもあるし、そのほかにも様々な活動をされていますよね。そもそも子どもの頃はどのようなお子さんだったんでしょうか。

    尾崎 幼い頃から茶道や華道、箏曲などを学んでいました。昔は6歳の6月6日という日に習いごとを始めるということがよくありましたよね。

    角田 そうですね、そのようなことがあったように思います。

    尾崎 箏曲では幼い頃は毎日練習だったんです。で、高校生になるかならないかくらいの頃に脇教授の資格を得ました。今でも始動はしているんですよ。

    角田 でも箏曲だけじゃなくて茶道も華道もでしょ?すごいなあ。良いところのお嬢さんだったのかな。

    尾崎 違います、違います。その頃って嫁入り道具の1つのように習い事をやっていたんですよね。

    角田 う~ん、それにしても大変だ。で、「書」に関してはどうなんですか。いつ頃から?

    尾崎 書も小学校の頃から始めていたと思うんです。中学くらいになるといろんな展覧会に出したりしていたんですが、高校になって良い先生に巡り会いました。よく分からなかったんですが、大きな作品を書かされていたんですが、それが県展に出品されました。

    角田 ほう、高校生の時に県展ですか。で、結果はどうだったんですか。

    尾崎 その時の作品が初入選になりました。17歳の時でした。その頃は会場に行くと、おじさまやおじいさんがたくさんいらして、皆が褒めてくれるんです。すっかりその気になってしまいました。あのときのおじさん達はみな審査員の先生だったんですよね。

    角田 それ以来ずっと書にはかかわってきて、今ではご自分の会まで主宰していますからね。大変なことですよ。

    尾崎 不器用だから1つのことをずっとやっていただけです。長く続ければ何とかなるものですから。

    角田 いや、不器用ではないでしょ。だって箏曲や茶道、華道も続けているんでしょ。ところで箏曲って、お琴ですよね。あれ、難しそうですね。

    尾崎 音階って平調子って言って「勘」でやるんです。

    角田 ん?……勘?

    尾崎 曲によって調子が違うんです。で、毎日平調子を合わせるところからヶお稽古なんです。

    角田 難しそうだ。絶対音感がないとだめみたい。

    尾崎 そうですね、私には絶対音がはいっているんだと思います。

    角田 う~ん、それは凄い。書だけじゃなくて事でも才能発揮とは恐ろしい。

    尾崎 6歳の6月6日って、こういうことなんですかねえ。

    角田 少し書について伺いましょうか。どのような進んでいったんでしょうか。

    尾崎 そうですね、ずっとやっていたものですから、26歳の時にまず県書道連盟の役員になりました。3回特選を取ると評議員という役員になるんです。で、毎年のように特選をとっていたものですから26歳で卒業になっちゃった。役員として最年少でした。

    角田 それも凄いことだ。当時、26歳って、書の世界にそんなに若い女性はいなかったでしょう。

    尾崎 そうなんです。だから可愛がられもしたし、妬まれたりもしましたね。でも鈍感なのかあまり気がつかないで来てしまいました(笑)。で、今考えるとその頃から日展に初入選する頃まで、有頂天になっていましたね。

    角田 日展の初入選はいつの頃ですか。

    尾崎 日展には10代の頃から出していましたが、初入選は35歳でした。ちょうどこの頃に埼書女流会というのを結成しました。

    角田 それはどのような会ですか。

    尾崎 埼玉県書道連盟の役員に女性は15人しかいなかったんですが、その15人で「男ばかりに威張らせておかないで、女だけの団体を作ろう」ということで初めました。

    角田 それは今でも続いているんですか。

    尾崎 はい。今では100人を超えています。

    角田 大所帯になったんですね。

    尾崎 こんなに続くとは思わなかったんですけどね。今はそこの顧問をしています。35歳の時には浦和市展の審査員にもなりました。浦和市展は洋画の高田誠先生が会長をされていて、美術や工芸など、いろいろなジャンルがあったんですが、書では私が審査員ということになりました。

    角田 何でも若いうちに経験してしまったんですね。

    尾崎 早かったですね。そうのような審査とか会議などを行うと帰りには必ず飲み会になるんですね。そうすると女性が居た方がいいんでしょうね。それで「尾崎を審査員にしよう」ということを言ってたみたいですよ(笑)。審査員のおじさん達から見たら、親子みたいなものですよ。

    角田 現在、「懐玉會」という書の団体を主宰されていますね。

    尾崎 はい。「かいぎょくえ」と読むんですが、この名前は槇先生がつけてくれたんです。

    角田 ほう、ここで槇先生の登場ですか。

  • 尾崎 このような名前は槇先生じゃないとつけられないでしょうね。

    角田 そう言えば尾崎さんは槇先生について詩や文学の勉強もされていましたね。これはどのようなことからそうなったんですか。

  •  

  • 尾崎 書を選んで、大学に進んだ時にずっと師としてついていた今枝二郎先生が「あなた書をやるなら漢詩を勉強しなさい」って言って槇先生を紹介してくれたんです。今枝先生の自宅は浦和一女の近くで、槇先生の家とも近かったんです。

    角田 漢詩は以前から勉強していたんですか。

    尾崎 していました。漢詩って美しいと思いました。特に中国語で読むと音楽のようにメロディがあるんです。とても美しいんです。

    角田 ここから詩人槇皓志先生とのお付き合いが始まるんですねぇ。本誌でも槇先生には大変お世話になっていました。

    尾崎 「かいぎょくかい」ではなく「かいぎょくえ」にしなさいということでした。この名前で文化団体連合会に入会するように勧められました。で、文化団体連合会会長であり日本画家である関根将雄先生に会いました。槇先生と関根先生は仲が良かったんですね。

    角田 なるほど。

    尾崎 でも「ここに入ったからには書だけやっていてはダメ。何でもやりなさい」と言われました。さらに「着物を着なさい」とも言われました。あの先生達は戦後の混乱期から日本の文化を守ろうと言うことで文連を作ったんですね。だから文学部が呼び掛け人なんですね。文化に対する想いが異常に強かったんだと思います。

    角田 やっぱり尾崎さんはものすごいマルチ人間ですねぇ。書をやって、文学をやって、箏曲に華道に茶道。こりゃすごい。

    尾崎 でも、主語は同じなんです。

    角田 さて、話題を変えます。先月号に書いて頂いた随筆、とても楽しく読ませて頂きました(笑)。海外旅行ってよく行かれているようですね。初めての海外旅行は?

    尾崎 書の展覧会を中国でやりますから、まず中国へ行くことから始まりました。で、中国にはよく出かけていました。でも旅行にハマったのは埼玉文学賞で賞金をもらってからですね。

    角田 と言うと?

    尾崎 50歳少し前くらいに頂いた賞金で、大学に入った娘と2人でイタリアに行きました。それから海外旅行が好きになりました。

    角田 尾崎さんって、あまり物怖じしないタイプですよね。普段の行動を見てるとそんな感じです。見た目とは随分違う

    尾崎 あはは(笑)。

    角田 それを感じたのは以前、私の母が主宰していたヨーガの会の皆さんと一緒にインドに行った時のことです。ガンジス川の聖地であるバラナシではインド人が沐浴をしていますが、「日本人はインドの雑菌に弱いので、絶対に沐浴してはいけません」と母が言っていたにもかかわらず、尾崎さんはいつの間にか川に入っていましたね。あれには驚きました。何ともなかったですか。

    尾崎 帰国してから家族にさんざん叱られました。主人なんか、あなたの入った後の風呂には入らないとか。ものすごかったです(笑)。

    角田 そうなんだろうなあ。実際に病気になってしまった日本人がたくさんいるらしいですよ。

    尾崎 照子先生に「いいですか?」「入ってもいい?」って何度も聞きました。でもそのたびに「ダメ」。「だめよ」って。でもあんまりしつこく言うものだからついに折れて「じゃ、足首だけね。それ以上は絶対ダメよ」って。「しめた!」と思いました。

    角田 それなのに、胸まで入ってましたね。

    尾崎 気がついたら入っていたの。そしたら下の方がスーッと涼しくなったの。ああ、水が流れているなって感じました。

    角田 でも、綺麗な川じゃないからねぇ

    尾崎 前の日に小さな船で川に出ましたよね。その時に死体を焼くシーンとか、それを川に流す場面とかを目撃していましたから、すごい事だなとは思っていましたね。

    角田 あれを見ちゃうと入る気にはならないんですけどね。

    尾崎 足に棒みたいなものや布みたいなものがからまったりして気持ちが悪かったです。

    角田 でしょう(笑)。

    尾崎 でも、入ってみなきゃ。互換で感じないと

    角田 その辺りがものすごいなあと感じる部分なんです。で、今回の随筆の旅行ですが、読んでると笑っちゃうけど、あの場面では大変だったでしょう。

    尾崎 それはもう大変ですよ。乗り換えなんてどうってことないって馬鹿にしていたんですけどねぇ。あの中に乗り換えの人がいるわけだし、名簿にも入っているのに、締め切って、もう入れさせないなんて、ひどいですよ。日本じゃあり得ない。

    角田 確かにね。おまけに不審人物扱いでしょ? どこの空港だっけ。

    尾崎 カタール。乗り遅れたら今度は不審者扱いで連れて行かれました。スパイとか、不法荷物の受け渡しとかをするんじゃないかと疑われたらしいです。パスポートも取り上げられて解放されるまで3時間ですよ。日本やいろいろなところに紹介されていたようです。

    角田 でも、ある意味、貴重な体験をしたとも言える(笑)。普通じゃあまり経験できないですよねぇ。

    尾崎 そうそう、だから私も最初はドキッとして真っ青になりましたけど、世界中で信用されている日本人だし、何も悪いことはしていないんだし、こんな面白いことはないと開き直りました。でも結局この為に1泊2日の遅れでツアーに合流しましたから、旅行費用も倍かかってしまいました。

    角田 とんだ災難でしたね。最後にお訪ねします。現在、懐玉會に入っていらっしゃる書家の方は何人くらいですか。

    尾崎 最初は100人くらいでスタートしましたが現在は皆さんが高齢になて少し減りましたから80人くらいですね。

    角田 懐玉會の書展は毎年ですか。

    尾崎 1年おきに開催しています。最近は去年でしたから、今度は来年ですね。

    角田 そうですか。今後もますますのご活躍を期待しています、強はどうも有り難うございました。