曝井碑


八幡山古墳の碑


防人桧前石前之館碑


小埼沼碑


水前寺の碑


浅羽中学校の碑


土屋神社の碑


吉田小学校の碑


狭山市役所の碑


吉田町旧歴史民俗資料館の碑


越生町図書館前の日

埼玉の万葉遺跡・Part2


 
平成時代が終わって、いよいよ5月1日から令和時代が始まる。この新しい元号である「令和」は万葉集からとったものだ。しかも今までは中国の古典を典拠としていたのだが、歴史上初めて国書からの出典となった。
そこで今回は埼玉県内にある万葉遺跡を訪ねる特集を組んでみた。調べてみると県内に25カ所の万葉遺跡が見つかった。その中で個人宅にあるものを除いた歌碑を今月号と来月号の2回に渡って訪ねることにしよう。
 

埼玉県内の万葉遺跡

①川越氷川神社(川越市宮下町)➡山上憶良歌碑
②冨士浅間神社(川越市富士見町)➡占肩鹿見塚歌碑
③狭山市役所(狭山市入間川)➡おほやが原歌碑
④南高萩農産物直売所(日高市大谷沢)➡おほやが原歌碑
⑤巾着田(日高市高麗本郷)➡高麗錦歌碑
⑥東京国際大学正門横(坂戸市四日市場)➡おほやが原歌碑
⑦土屋公園(坂戸市浅羽野)➡浅羽野歌碑
⑧浅羽野中学校(坂戸市浅羽)➡浅羽野歌碑
⑨越生町立図書館(越生町越生)➡おほやが原歌碑
⑩仲島家(越生町大谷)➡おほやが原歌碑
⑪日本カントリークラブ(越生町大谷)➡おほやが原歌碑
⑫吉田町旧歴史民俗資料館(吉田町下吉田)➡防人歌碑
⑬吉田小学校(吉田町下吉田)➡防人歌碑
⑭水潜寺(皆野町日野沢)➡東歌碑
⑮防人桧前石前之館跡(美里町広木)➡大伴部真足女歌碑
⑯曝井碑(新旧)(美里町広木)➡曝井の歌碑
⑰前玉神社(行田市埼玉)➡万葉灯籠(小崎の沼・埼玉の津)
⑱小崎沼(行田市埼玉)➡小崎の沼歌碑
⑲八幡山古墳公園(行田市富士見町)➡防人夫妻歌碑
⑳鷲神社(加須市向古河)➡古河の渡し歌碑
㉑真々田家(岩槻区尾ヶ崎新田)➡小崎の沼歌碑
㉒県民健康福祉村(越谷市北後谷)➡うけらが花歌碑
㉓丹後稲荷神社(三郷市早稲田)➡葛飾早稲歌碑
㉔新井家所有地(毛呂山町大類)➡おほやが原歌碑
㉕阿須運動公園(飯能市阿須)➡東歌碑
 

万葉集とは

 7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された和歌集で、日本で最も古い歌集だ。規模としては全部で20巻、4536首の歌が収録されている。和歌の作者は天皇や貴族などから下級官人や一般庶民、農民、防人に至るまで、大変広い身分の人々に及んでいるのが特徴だ。また詠まれた場所も日本全国に広がっている膨大なもので、埼玉県内にも多くの作品が残されている。
 この万葉集を誰が編纂したのかは分かっていないのだが、最も多くの作品を掲載している大伴家持ではないかという説が有力だ。
 また万葉集の歌が詠まれた時代は、629年に即位した舒明天皇以降と考えられ、万葉集最後の歌である巻二十の4516番が作られた759年(天平宝字三年)までの、約130年間と思われる。従って和歌集として成立したのは759年以降ではないだろうか。
 

代表的な歌人

 万葉集の代表的な歌人はなんと言っても最も多くの作品を掲載している大伴家持だが、そのほかには柿本人麻呂、大伴坂上郎女、額田王、志貴皇子、山部赤人、山上憶良、大伴旅人などだろうか。
 これらの代表的な歌人だけでなく、様々な階層の人の作品が掲載されており、全部で514名の作品が掲載されている。また作品としては短歌が最も多く、全体の9割を閉めているが、そのほかには長歌、旋頭歌などがある。
 

漢字だけの和歌集

 万葉集ができた時代にはまだ平仮名は発明されていなかった。そのために作品は全て漢字だけで書かれている。しかし漢字と言っても漢文ではないし、もちろん中国語でもない。言葉の発音に合わせて漢字を当てはめた「万葉仮名」というものが使われている。この万葉仮名については次号で詳しく紹介しよう。
 

元号「令和」の典拠

 さて、5月1日から元号が変わった。平成の時代が終わり、新しく令和時代が到来したわけだが、この令和という言葉は万葉集から取り出されたものだった。
 また、今回の元号改訂で候補に挙がったものは令和を含めて6点だった。それを紹介すると次のものだ。
 令和➡万葉集
 英弘➡日本書紀
 広至➡日本書紀
 万保➡中国古典(詩経)
 万和➡中国古典(文選)
 久化➡中国古典
 

令和の典拠となった文

 令和の典拠となったのは万葉集巻五の「梅花の歌、三十二首の序文」にある文章の一部で次のものだ。
 『初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす』の中から取りだしたものだ。これはいわゆる書き下し文というもので、この中の前半部分は元々は万葉仮名で次のように書かれている。
 初春令月 気淑風和
 この中から「令」と「和」を取り出したのだ。またこの部分を現代語に訳すと「初春の素晴らしい月、空気は清らかに澄み、風は穏やかにそよいでいる」とでも言えば良いのではないだろうか。つまり「令」には「良い」「素晴らしい」などの意味があるのだ。決して「命令」の「令」ではない。
 

似た文が中国にも

 この文章に似た文が中国の古典にもあったのは偶然だろうか。それを万葉集の文章と比較してみよう。
  ●万葉集(8世紀)………初春令月 気淑風和
  ●文選(中国6世紀)……仲春令月 時和気清
 「令和」は日本の古典からの出典と言われているが、このように中国にも似たような文があったことに驚く。このことから万葉集研究の専門家は「万葉集の一文は中国の古典である「文選」から影響を受けている」と主張する学者もいるようだ。なお、当時の日本人は中国の詩や歌を暗記するほどに読んでいたらしいとも主張している。このことから万葉集は当然のごとく中国古典の影響を受けているというのだ。
 確かにそうかもしれない。しかし当時の日本人が中国の影響を受けていたとは言え、日本の古典である「万葉集」からの出典であることは間違いのないことであろう。
 
万葉仮名とは
 先月号でも触れたように、万葉集ができた時代にはまだ平仮名は発明されていなかった。そのために作品は全て漢字だけで書かれている。しかし漢字と言っても漢文ではないし、もちろん中国語でもない。言葉の発音に合わせて漢字を当てはめているのだ。この当てはめられた漢字を「万葉仮名」と言っている。表にあるような漢字だ。例えば「あ」という言葉には「阿」とか「安」などの漢字を当てている。
 なお、この表は数多くある万葉仮名のうちの代表的なものを選び出したもので他にもたくさんある。
 
濁音もある
 「が」とか「じ」のような濁音も漢字で表している。その一部を紹介したのがもう1つの表だ。例えば「が」は「賀」や「我」などを当てているが、他にもいくつかの例があり、これだけではない。
 
平仮名の発生
 平仮名は音節文字と言われるもので、万葉仮名を起源として成立した。つまり万葉仮名として使われていた漢字を極端に崩して草体化したものだ。 例えば3つめの表のような漢字から平仮名が出来たと考えられる。
 
※詳しい記事は本紙にてご覧下さい。
 

冨士浅間神社の歌碑

 

噴火口の模型(冨士浅間神社)


JAいるまの

 

JAいるまのの歌碑


阿須運動公園万葉広場

 

阿須運動公園の歌碑


川越氷川神社

 

川越氷川神社の歌碑


蕨市民公園

 

蕨市民公園の歌碑